03.スペイン大好きブツブツ

永川玲二師匠と呼ぶ

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今朝は、奈良県橿原市の何とも居心地の良い町屋にて目覚める。旧友TAKUMI建築設計室の米田巧先生のアジトだ・・・。こんな事務所もいいな~!クライアントも喜ぶわ・・・。

昨日の昼の12時から洋画家・天野隆生(アマノリュウセイ)先生も交えて、ここで深夜まで呑みまくった・・・。酒の肴は『故永川玲二』話である。

永川玲二と言う偉大な文学者の事を知っている人はとても少ないと思うが、どうやら私が、永川玲二の最後の運転手だったらしい・・・。知らない人には、何のことなのかさっぱりわからん話・・・。

初代運転手はあの時代小説作家・佐伯泰英さん。次にフェデリコさん、原さんとつづき、その間はわからないが、95年~98年は、私がその毒歯にひっかかり、スペイン・ポルトガルの各地を運転した・・・。

天野先生は77年から89年にスペイン滞在、70年にイギリスからセビージャに渡った永川先生の次の世代の人と言えるだろうか・・・。78年にバルセロナに入った外尾悦郎さんとは、同期ともいえる・・・。

私が知る前の荒々しい永川玲二をたっぷり知っている天野先生。他に同時代にスペインで活躍(?)した、ルイスさん、石井さん、中川さん、右近さん、滝田さん、加納沢さん、辻さん、堀田さんなどの名前がどんどん飛び出し、私のスペイン時代の疑問がいくつもつながった。

永川先生について、あまりに感慨深いものがあり、途中涙してしまい、あっという間に数時間の座談が終わった。

戦中戦後の生死を掛けた時代を生き・・・というか『大胆に生き抜いた』という感じの人、永川玲二。天に召されて13年。汚くて、うるさくて、ヨレヨレ爺さんだったのに・・・。偉大な文学者なのに、自身の名前での作品が2つしかなく、いつも貧乏だったのに・・・。これからもずっといろんな人に愛される・・・。

私は彼の人生の最後の最後のところに、ちょっとだけ登場する事が出来た。最後の運転手である・・・。おもしろかった・・・ブツブツ・・・。

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参考前回ブログ;

http://agradesignroom.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-8dce.html

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愛しのエスパーニャ

 この意図のないブツブツブログも、今回で100回目。気負って気負って何を書こうか考えて、結局何も浮かばない・・・。

101105002 いい事なのかどうなのか・・・。忙しく、暇なく、でも金なく・・・。あの大好きなスペインの大地を離れてからはや12年。二度とふたたび訪れる事が出来ない・・・・・。帰国の時は、「いつか自分の事務所を開設したら、年に何度もスペインとの往復ができるような仕事を・・・」なんて、やはり夢でしたか・・・。

101105008 しかし、あの頃からすると、えらくスペインが日本にとってメジャーになったおかげで、いつでもスペインワインも飲めるし、ハモンイベリコも食べれるし、毎日のようにリーガ・エスバニョーラのサッカーの結果もテレビでやってるし、まぁ、スペインを忘れる事はない。グーグル・アースを見れば、カディスの行きつけだったレストランまで見れてしまうし・・・。

 でも、違うんだなぁ。やっぱりあの空気が吸いたい・・・。あの空気の中で、あのニンニクとオリーブオイルたっぷりの料理を食って、冷たーいヘレス(シェリー)が飲みたいのだ・・・!!

 という事で、第100回目のブログってことで、まぁ、今日は大好きなスペインの思い出をブツブツっと書いてみようか・・・。一人でスペインの海を思い出して・・・。(知らない人が見ても、おもしろくもクソもないかもねぇ・・・。まっ、自己満足の世界ですから・・・。)

 地中海性気候の代表のような国。夏、雨少なく乾燥し、太陽の日射をまともに受けて温度は暑いが心地よい・・・。内陸側では、冬はおそろしく冷たい北風が吹抜ける。しかし海岸側は比較的温暖。 山側(内陸側)のスペインも最高だけど、やぱり彼(か)の国は海がいい。

101105001 私のスペインは、この窓から始まった。言葉もわからない、文化も全然違う国に、ある日突然降り立つ。なんちゅうか、不安っていうのか、どうしていいのかわからない。会社もやめたし将来だってどうなるかわからんし。「さあどうしよう・・・」の最初の朝は、この窓だった。

 渡西前に連絡をつけたマラガの語学学校の寮というか寄宿舎というか、ともかく数人の生徒が一緒に寝起きする共同のアパート。実はこの数年後に結婚した妻も、私が渡西する数ヶ月前に、同じ窓でスペインでの1日目の朝を迎えた。ン~、思い出の窓になってしまったな・・・。

101105005 マラガは地中海沿岸の町。ガキの頃は異世界だった【地中海】なんて言葉。海そのものは、志摩の海とかわないような気もするが、さすがリゾートで飯を食っている国。ビーチが楽しい。水のように酒を飲むし、魚はうまいし、人はあくせくしてないし・・・。

 夏は平日だって、ご覧のとおり。海岸は若者もガキも年配者も、みんなおのおの楽しみながら日光浴。海も青けりゃ空も真っ青・・・!

 ジブラルタル海峡からも近いこの町は、風はタリファの街のように吹かないが、旨い魚の宝庫である。スペインは、ヨーロッパでもっとも魚を食べる国民。日本ほどではないのだが、ともかく魚料理が旨い。(肉料理は、日本に比べるとまだまだかなぁ・・・)

101105003 1年後、セビージャの知人ルイスが、夏のバケーションで使うカディスの別荘を、秋・冬・春と住まないかと言うんで、その話に乗った。別荘と行っても、ボロボロのアパート。ただし、カディスの街中から10kmも続く白浜ビーチのまん前というロケーション!

 カディスに住むためには、学生ビザに書かれている学校を変えなければならん。これが四苦八苦・・・!

 街中には日本人は住んでいないような所だし、学費が安くてビザが下りるような語学学校もないもんだから、カディス大学に潜り込む。

101105004 潜り込むたって、本当に裏口からそうっと潜り込んだらビザが取れないから、日本での大学の単位やなんやらを外務省を通して取り寄せて、編入申請。

 ところがこれ、ここがスペインらしいところ。審査に2年を要し、それまでの間は聴講生として在学していいよだって・・・。そして2年後に来た結果は・・・。日本で大学を卒業してしまっているので、申請は不許可だと・・・。

101105007_2 おかげさんで、カディスで過ごした2年間。毎日毎日アパートのベランダから、昼は真っ青な大西洋の水平線に落ちる夕日を眺めながら「呑む!」なんて生活を繰り返させていただきました。いい国だよ、まったく。

 毎日を只ダラダラと過ごした・・・という訳では、もちろんない。語学の壁に悩まされながらも、スペインという国を通して建築と文化を学び研究した日々は、今の建築家という職業にとても役に立っている。

 ある意味日本によく似た海に囲まれた国スペイン。ただし、北にはピレネーの向こうにヨーロッパの列強国が控え、南にはジブラルタルの向こうに紀元前数千年前からの偉大な文化をもったイスラムの攻勢を感じ、その中での入り混じった文化と環境で現れた建築物たち。いやその建築物を生み出した人々の生活を、ずいぶん見て回った。

 異国でめぐり会う方々は、日本でのそれとは比べ物にならないほどやさしく、そして大きな影響を私に与えた。故永川玲二先生や、外尾悦郎さんの熱い言葉。あのフセインと一緒に仕事をしたという男、アンブロシオ。空手を学ぶ学生フランシスコと彼のご両親の親切。日本語とスペイン語を教え合うインテルカンビオをした女性ノエリア・・・・・。日本食が食べたくなったら、どんな時でも美味しい料理を作ってくれたアツコさんとアントニオ。カディスの家を貸してくれたルイスとモンセが食べさせてくれた数々のチーズも忘れられない。

101105006  あぁ~行きてぇ~!スペイン行きた~い!でも今度は家族で行きた~い!ひとりはイヤよ~!みんな、一緒に行こう~!!

 しかし、子供達にこんなカッコは見せられんなぁ・・・ブツブツ・・・・・100回目の・・・・・ブツブツ・・・・・。

 

 

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ナバパロスで生まれた建築家

100622001_2 ナバパロス。マドリー(マドリッド)から北北東に180kmほどの、小さな小さな田舎町。いや写真を撮ったこの時には、この街には誰も住んでいなかったんじゃないだろうか。朽ちた村のようだった。

 今、いろんな人に会うたびに、『しばらくスペインで遊んでました!』なんてカッコつけた戯れ言を言っているが、実はそればかりでもない。確かに、あまり建築の勉強などはせず、ただただ旨い魚と旨い酒を、輝く太陽の下で毎日かっ喰らっていたのは事実だが、限られた時間とお金の中で、貴重な体験もいくつかあった。

 カディス大学に聴講生として在籍していたものの、もともと建築学科のない大学。授業はあんまり面白くない。そんな中、よく夜行バスで700kmはなれたマドリーまで遊びにいった。たしか学生証があると、片道1500円くらいと安い・・・。

100622003 ある日ぶらっと歩いていたマドリッド大学の校庭で、【クラッセ・デ・アルキテクチューラ・ルスティカ】というポスターを発見。

 クラッセは【授業】、アルキテクチューラが【建築】で、ルスティカが【田舎の】という意味で、【田舎の建築勉強会?】なのか、【郷土建築研修会?】なのか、まぁよくわからなかったが、ともかく街に戻って事務局というところを探し出し、「参加してもいい?」と聞いてみる。

 スペイン語は、日常会話ではもうさほど困らなかったが、専門的な単語の飛び交う大学の授業はさっぱりわからず(いい加減な聴講生だったから、それはたいした問題ではなかったが・・・)、そんなレベルで参加して迷惑じゃないか?と聞いてみた。すると、めずらしい東洋人が来たと驚き、そして逆に喜んでくれた。

 その場で申し込み・・・、たしか無料・・・。西欧では、こういう文化的な活動は無料って事が多い気がする。日本では、法的に必要な講習まで○万円必要!なんて言うのに・・・。

100622007 翌週、カディスの自宅からボロの愛車で900km走って【NAVAPALOS】の街へ。日も暮れ始める頃、到着・・・。着いた時間が悪かったのか、「これ・・・村か?」・・・・・。

 十数軒ほどしか見えない小さな建物達には、人影なく、いやそれらの建物はみな屋根が落ち、廃墟のよう・・・。遠い異国の冒険で・・・、急に心細くなる・・・。

 広場にたどり着き、明りと人影を発見。おお!事務局で見たイレアナさんだ!「安心、安心、ひと安心♪天才クイズだ!ドンと来い♪!」(・・・・40代の東海地方出身の人なら知っているでしょう?天才クイズの主題歌・・・・・。)

100622004 どうやらここは、一度は人がいなくなり廃墟になった集落を、行政かNPOみたいなところが借り受け、地方文化の研修に使っている村の様子。今回は、建築を学ぶ学生の他、建築を専門にする職業の人や、郷土文化の研究者のような人々を集め、【スペイン中北部の伝統的な古民家の建築方法の研修】だったようだ・・・。来てから、初めて理解した・・・。

100622002_2 20人ほどの参加者だったろうか。中米からの若い建築家マルコス氏の発表は、日本などでは聞けない心を動かされるものだった。少なくとも、先日聞いた安藤忠雄先生の講演よりもずっと・・・。

 日本では、意匠だ・構造だ・風だ・光りだ・断熱だ!なんて言っているが、夜露をしのげる【家】があることの幸せ、人々がやっと手にする【夜露をしのぐ家】という環境をどのように保っていくか、そんな現実の中で戦う建築家達の苦労を聞いた。恵まれた環境に気づかずに自分勝手に生きながら、ただ不平をもらし金で楽を得る・・・。それが我々の文化なのだろうか・・・と考えてさせられてしまう。

100622005 初日に到着する前には、実はその土地の赤土と藁を混ぜ合わせて腐らせ、古民家の壁の材料にするためのブロックを作る研修が行われていたようだ・・・。つまり時間を間違えて現地に行ったのだと、これも後から気がついた・・・・・。

 夜は、地元の料理を皆で食べ、地元の方々の歓迎を受け、みなで唄なんぞを歌うというお決まりのパターン。でも、やっぱりそれは楽しい。

100622006 そういう時、たいていどこに行っても、日本の唄を歌ってくれ!と言われる。唄は万国共通のコミュニケーションツール。

 そんな時の18番は、「上を向いて歩こう!」。リズムも歌詞も簡単だし、翻訳しても歌詞がわかり易くて深い・・・。どっかの若手歌手がイスラエルでアラファト議長の前で唄ったようだけど、あれなら、私の方が上手かった・・・・・。

 深夜まで続いたキャンプファイヤーの炎は今でも思い出す・・・。

 建築の様式は、もちろん土着の素晴らしいものであるけれども、真新しいものはなく、私がこれから日本でやろうとしてる事には役に立たないかもしれない。しかし、異国で経験する【ふれあい】という経験は、私の今の建築に対する考えに影響していると思う。

100622008 最終日には、修了証ももらった。意見を求められてもまともに答えられなかったのにね。ありがとうございました。

 あの国では、建築に携わり、本気で建築に向き合っている人の事を【アルキテクト(建築家)】という。

 私は、長いスペインでの滞在中、スペイン人に対しては自分は日本の【アルキテクト】だと自己紹介していた。 しかし、めぐり会う日本人相手には、どうしても自身を【建築家】だとは言えなかった・・・。この時はまだ、現場監督の経験はあるが、設計の実務経験も建築士の資格もない。日本ではそういう肩書が大切なんだ・・・と思っていた・・・。いや、日本って、そんな雰囲気がないだろうか・・・。

100622009 かの国で、たくさんの【アルキテクト】にあった。衣・食・住の【住】のところを真剣に見つめて生きている人の事を【アルキテクト】というのだ。

 だから今、私は、堂々と『私はアルキテクト・建築家だ!』と言える。もちろん設計の経験も資格もあるが、知識はまだまだ乏しくても、【住】を専門として真剣に働いているから。

 私は、何もない街ナバパロスで生まれ変わった。建築家になった。

 ナバパロスで私が得たもの・・・。人が【住む(生きる)】という事を真剣にサポートするのが建築家だということ。それと、この娘・カロルの写真・・・。ちょっと、美人でした・・・・・スペインの女子大生・・・・・ブツブツ・・・・・。

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ギターラ・フラメンカ

100526001 師匠、ガブリエル・カブレナ。プロのフラメンコギタリストで私のお師匠様!

 エラそうな事を言いました。私はそんなに弾けません・・・・・。いや、ほとんど弾けません・・・・・。ガブ先生に習ったのも、半年くらいでしょうか・・・・・。それももう、15年近く昔だわなぁ・・・。

100526003 スペイン文化と言えば、フラメンコ!独特でハートに来る音楽と、情熱的なダンス。スペインに観光で行く人のほどんどが興味を持っているし、スペインに行かなくても国内でもいろんなところでフラメンコ教室があったりして・・・。

 私もご多分に漏れず、渡西してすぐにフラメンコ好きになった。なんたって、あの情熱的な空気感と、ドンドン弾きこまれるギターサウンド。・・・カッコいい・・・!あんなギターが弾いてみたい・・・!「もしもピアノが弾けたなら」の西田敏行さんの気持ちだ・・・。

100526002 そう言えばアメリカに行った時も、すぐにカントリー好きになったっけな。バンジョーは弾けなかったけど、蛇皮のウエスタンブーツは履いてたっけ・・・。つまりうわべだけのカッコ付けたっだんだよね・・・。まっ、ブーツは今だに履いているけど・・・。オヤジなのに・・・。

 フラメンコもカントリーも、民族音楽は人々の苦労や苦悩の歴史を唄にして伝えるところから始る事が多い。カントリーはアメリカの開拓者の苦労の中から生まれ、ブルースもまた奴隷たちの苦悩の時代から生まれる。

100526004 フラメンコという音楽も、18世紀、ヒタノ(ジプシーのスペイン語・ヨーロッパの移動型民族)達の苦労と、レコンキスタ(国土回復運動・キリスト教のイベリア半島奪回)により追われたモーロ人(北西アフリカのイスラム教徒)の苦悩が、時を越えて混ざり合い誕生したと言われる。

 とは言え、そういう事は、歴史書でどれだけ読んでもわからん・・・!スペインに住んで、実際にヒタノ達と話をしても、その裏に隠されている歴史や差別などの背景は・・・難しい・・・。フラメンコ好きと言っても、あの気迫のこもった唄と情熱のダンスは、その重い々々背景を理解しないとよくわからんとです・・・・。

 でも、あのギターは良いねぇ・・・。アメリカでブーツを買ったの同じで、カッコ良いという理由だけなんだけど、なんとか弾いてみたい・・・。ポロポロポロンっと・・・!

100526006 そんでもって、知人のスペイン人に紹介してもらったのが“ガブちゃん”こと「ガブリエル先生」。師匠です!

 マラガのとあるアパートの最上階に奥様と二人で住んでいた。アンダルシアの街のプロ。こんな人にド素人が教えてもらっていいのだろうか・・・。しかも確か1時間1500円くらいだっかかなぁ。安い・・・・。

 なかなかの男前で、とても親切。仲の良い素晴らしいご夫婦だった。

 結局私の方が別の街に移動せねばならなくなって、どうだろう、半年くらいしかお付き合い出来なかったっけな。あぁ~、あの後もマメに連絡しとけばよかったなぁ。今はどうしているんだろう。

 スペインには、ギターのサウンドが良く似合う・・・。街を移動した後も、いつも下手くそギターを弾いていた。安ワインとチーズとギター。それだけで、最高の時間だった。

100526005 今も事務所にはギターが置かれている。疲れたら、ポロポロポロンっと・・・!いやいや本当は、帰国後仕事や結婚・子育てで、ほとんど弾いてなかったんで、もうぜぇんぜぇん弾けません・・・!くやしぃぃぃぃ!!

 実は1本は妻のもの。彼女もまた、かの地を知っていく中でギターラ・フラメンカ(フラメンコギター)を好きになっていく。

 でもね、彼女のギターの方がいいギターなんだよね、俺のより・・・。音も弾き易さも・・・。どうも私は昔から、なんも考えなしですぐに買ってしまうもんだから、ちょっと違うんだよねぇ・・・。安物買いのなんとやら・・・ブツブツ・・・。

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みんなのたてもの

100513001_4 昨夜は、勉強会。今回は私自身がスピーチというか、講師というのを依頼された・・・。疲れた・・・!

 独立してから、大勢の前でしゃべるってのが少なくなった。まして、決められた時間を、何らかの意図、あるいはストーリーを持ってしゃべるってのは、結構大変だ。

 依頼された時は二つ返事でOK。しかし、「設計者としての考え」なんちゅうタイトルを与えられたんだけど、よく考えたら同業の方々の勉強会。「そんなこと、いまさら教えられてもねぇ。あんまり価値のない勉強会だった・・・。」なんて言われちゃ困る・・・。同じ建築家やインテリアコーディネーターの人々に、なんか勉強になる事なんて・・・。

100513003_3 と悩んで、結局、20代の最後の時間を過ごした大好きなスペインの話でつかんで、自分なりの設計へのこだわり・・・へと話を持っていくことにした。(薪ストーブ話にしようかと思ったけど、あまりにマニアックになってしまいそうで・・・誰も聞きたかないか・・・・・。)

 印象的なスペインの風景の写真を何枚も出し、渡西の理由のは?というところで、将来独立するときに、「何か自分だけの特別な個性を持ちたかった。」と話す。「地中海の建物のスタイルは日本人ウケが良いから、そのスタイルを持ってくればいいかなんて思ったんですが・・・・・。」

100513004_4 しかし、渡世して実際にスペインの建物を見て、いやスペインの人々に会い、スペインの気候を感じ、スペインの歴史に触れ・・・・・、このいい加減な動機は、すぐに反省せざるをえなくなった・・・。

 この土地、この気候、この文化・習慣、この人々。全ての事柄が入り混じった上で生まれてきたこれらの建物。形だけ日本に持っていっても、ただのハリボテにしかならないじゃないか・・・。

 スペイン人を思い浮かべると、笑っている顔ばかりが出てくる。別にヘラヘラしているんじゃない。心の底から、生きる事を楽しんで笑っている。

100513006 彼らは、街に出ている。街の中心街ってことじゃなくて、住宅街でも。街のそこここでおしゃべりをしている。挨拶をしている。オラ!ブエナ!コモエ・・!ケパサ!

 この国に住まう人々の、明るくて優しくてイキイキとした生き方。日本に比べて決して経済的に豊かというわけではないのに、人にも街にもある種の活気があり、人々の心には余裕がある。

 そこで、スペインに滞在できる限られた時間は、この素晴らしい文化や習慣、気候にどっぷり浸かり、その上で成り立っている建築文化を肌で感じる事に専念しようと考えた。

100513008 元々彼らは農耕民族である。キリスト教がレコンキスタ(国土回復運動…キリスト教が800年を費やしてイスラム教から国土を取り返した・・・?)以降に羊を放牧させる文化を持ち込んだが、それ以前のイスラムの時代は、土地を開拓し、大地に根づいた農業がとても発達した。土地の開拓はドンドンすすみ、今では国土の大半は開墾の跡がある。

 男たちは、大勢集まって村から遠く離れた畑へ向かう。それこそ一度畑に行ったら、2泊3泊をすることになる。広大な畑の一部に建てられた農業小屋は、彼らの宿泊小屋でもある。

100513009 女子供や年寄りたちは、部落に集まって住む。互いが支えあい助け合いながら、守りあいながら村という単位で生きていく。

 各家には、敷地境界線なんてない!どころか、家はみんな繋がっている。一つの村は、一つの家とも言えるのだ!

 そのことで、家は個人個人の勝手な建物ではなく、例えば外観などは、村の他の人たちと共有のものとして存在している。

100513010100513002_6 有名な、白い村の壁にたくさん掛けられた花の鉢。それらも、決して自分勝手に外壁を飾って遊んでいるのではなく、街の美化と地域への責任感という意味が根底にある。

 今の日本は、どうだろう。住宅街に人が歩いていない。立ち話も挨拶の声も聞こえない。隣の人は誰ですか?隣保の人でも名前もしらない。四方の境界線にハッキリとした塀を築き、この塀から内側は「見るな!入るな!ゴチャゴチャ言うな!私の勝手でしょ!」って家が多くない?

 もちろん、文化・風土の違い。歴史と習慣の違い。どちらの国も、都会と田舎では違う。だたし、わが日本も、ばあちゃんの時代までは、もうちょっとスペインに近かったような・・・。

100513005_2 帰国し、いろんな修行をし、自分の設計事務所を立ち上げて、設計計画の上で気を付けていること、【こだわり】がある。

 「施主様の希望や考えを最大限に取り入れ、コストや施工性等を検討することはもちろんですが、建物が自分勝手に自己都合のみでデザインされることなく、その土地と、その建物と、そしてそこに住む人の、地域との繋がりを十分に考慮することにも重点を置きます。地域にとってのそれらの役割を考えます。」

 ってなことを話した。いや、要所要所に笑えるコネタを入れながら・・・・。

 しかし、話すって難しいよね。聞いてる人がアクビをするような話じゃいかんし、だいたい時間が全くうまく合わない・・・。与えられた25分に対して、はしょってはしょっても40分掛かっちまった。最後は無茶苦茶早口でね・・・。で、なんか大事なこと言ってないような・・・・・。

 まっ、聞いてくれた人のブログでは褒められていたから、いいでしょ!しゃべりのプロじゃないしね・・・・ブツブツ・・・・・。あっ、しゃべるのも仕事か・・・・・。

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エルパロ

100215001_3 スペイン・マラガ、エルパロ(El Palo)というところに、とっておきのレストランがある。マラガ市街から20~30分ほど海岸を東に行ったところ。

 なんとなくこの店を思い出した。名前は、【エル・ティンテロ(El Tintero)】。典型的な地中海沿岸の魚料理レストラン。(写真があまりないので、やむおえずまた私も登場してしまうが、もちろんずいぶん昔の写真である。親友と一緒にメシ・・・)

100215006_2  渡西中、いつ行っても大繁盛。どうやらいまだにその勢いは収まらないようだ。

 ビーチ沿いのテントの中で、とことん新鮮な魚介類とワイン。そりゃぁ、最高だ!

 ただし、夏のスペインのレストランは、夕方行ってもガラガラだ。夕食の時間が違うから・・・。こういう店は、夜の8時くらいではまだオープンもしていない。夜10時くらいからお客さんがやって来て、11時~12時くらいが最も繁盛する。まったく、スペイン人は、夜更かしなのだ。

100215007_3 と言っても彼らの朝は早くて、銀行は朝8時くらいからあいているし、むろんパン屋さんなんて・・・何時だろう・・・朝6時にはオープンしているかな。

 つまり彼らは、夏は毎夜たっぷり楽しんで、夜寝ないで・・・仕事中にうとうとする・・・シエスタという“文化”を使う・・・。素晴らしい人生だ!・・・なんて書いたら、スペインの皆に怒られるか・・・。

 海辺のレストランには、最高に旨い料理がある。【エスペト(Espeto de Sardinas)】という。

100215002_4  写真のように、イワシをズバ、ズバ、ズバッ、と串に刺して、焚火の周りにブスっと刺す。単純かつ、どう見ても旨そうな料理である。

 まぁこんな料理だから、ビーチ沿いの店では、たいてい置いている。古くなった漁師の木船に砂を盛り、その上で焚火をして、まるで“海の簡易キッチン!”みないな光景を良く見る。

 当然だが、良く冷えた白ワインや、辛口のヘレス(シェリー)と一緒に口の中に入れると、この街が最高に好きになる。もちろん、難しい味付けはいらない。塩くらい振ってあるのかな。

100215004_3  もうひとつ大好きだった食べ物。【ガンバ プランチャーオ(Gambas Planchados)】。エビの鉄板焼きだ。

 別に説明はいらなそうだ。ニンニクとオリーブオイルで鉄板焼きにしたエビ。白ワインをグビグビ飲みながら、手でエビの殻をムキムキして食べる。

 一つ食べたら、手についた塩をナメナメして、また白ワインをグビグビと行く・・・。当然ワインの量もドンドンと増えてしまう。

100215005_4 あっと、絶対に忘れられない海の料理があった。 【カラマリート フリート(Calamaritos Fritos)】。ホタルイカのフライ。

 これも、ホタルイカをザッと揚げるだけの料理。少しの塩味に、レモンを絞って食べる。これは、まずビールから・・・!

 醤油を持参し、ちょこっとだけたらして食べる・・・。バリウマでした。

100215003 この国の海岸線料理は、焼き物・揚げ物が多い。ただし、夏の気温が軽く40度を超えるアンダルシーア。太陽の光を避けながら、塩とニンニクと油料理ってのは、理にかなったヘルシー料理とも言えるのだ。

 想像してみてください。砂浜、真っ青な海、眩しいほどの太陽の光、冷たーくひえたビールとカラマリートフリート。もちろん眼前にはビキニ。・・・冬にする話じゃなねぇな~。

100215009_3  (この写真は、私が1年ほど住んだマラガ・ウエリンのアパートの前にある海岸。いろんな意味ですばらしい・・・!!) 

 さて、今日のブログは、いったい何を言いたかったんだろう。ただのスペインマニアの食べ物自慢になってしまった。

 少々精神が疲れた時に、よくスペインの事を思い出す。つまり、本当に素晴らしいところなのだ。

100215008_4 実は朝から、この空の素晴らしい写真を見ていて、こんな文章を書きだした。知人達とこのティンテロという店の前で撮った写真。(空は最高だけど、やっていることはバカだねぇ。品がない・・・。若かったものですから・・・。)

 もう一度行けるかな。妻と一緒に・・・ブツブツ・・・。

 

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南スペインの画家 イシイタカシ

090805001_2 勝手に紹介したい。私の大好きなスペインを描く素晴らしい絵描き。石井崇さん。

 アンダルシーアのグラナダの南側にあるシェラネバダ山脈。標高は3000mを越える。シェラはスペイン語で「山脈」。ネバダは「雪でおおわれた」と言う意味。まさしくあの暑い南部スペインで、夏でも雪に覆われた山。雪解けの水はグラナダの繁栄がよくわかるほど豊富で、ミネラルたっぷり。

 その南面に広がるアルプハーラ地方。そこにある小さな小さな村、フェレイローラ。この人はここに住んで、大好きな絵を描き続けている。

090805003 勝手に絵や写真を掲載します。まぁ、会った事がないわけではなく、師匠・永川玲二氏の関係でセビージャでもカディスでも何度もお会いしているし、アルプハーラのお宅にも泊めていただいたこともある。・・・とは言え、10年以上も前の話だから、石井さんは覚えてないだろうけど・・・。このブログによって1円たりともお金を稼ぐことは無いので、許してください。

 スペインに行って、スペイン好きを豪語し、いろんなスペイン名物の話をする事が出来ても、所詮それは上辺だけのスペイン。何々地方ではどんなワインあって、どんなパンがあって、どんなタパがあって、どんな食べ方をして・・・。この地方では石積みの建物が多くて、この地方では土を腐らして乾燥レンガ状にして木の骨組みを利用しながら積み上げて・・・。

 スペインを知っていく上では、こういう知識をどんどん頭に入力していく事は大事なことで、楽しいし、いろんな事を知った気分にもなるし、ちょっと理屈を知っていた方がハモン・イベリコと一緒にスペインワインを楽しむ時にはとても美味しく頂けるんだろう。けれども、でもやっぱりそれだけでは本当のスペインの姿はわからない・・・。

090805005090805006_2 住まないと・・・。住んで、住む事を楽しんで、住む事で苦労しないと・・・。本当のスペインは見えてこない。

 石井さんも、渡西してもう35年目になるのかな。私が初めてお会いした頃は、それでも20年は住んでいると言ってたっけ。ちなみに永川玲二氏は、その10年前にシベリア鉄道で渡西している・・・。

 先日また石井さんの著書を読んで、彼がその長い年月の中で、いかにスペインを理解し、大好きでいられるのか、またわかったような気がする。

 もともと大金持ちでもない限り、いきなりスペインに乗り込んで長い時間滞在しようとしても簡単ではない。私もそうだったからよくわかる。ビザの問題もあるし、それ以上にお金だって必要だ。

 石井さんは、ヒタノ(ジプシー)を使って、村祭りまわりのテキヤまでやって突き進んだ。ヒタノという文化は、簡単に書けるようなことではないが、フラメンコのようなスペインを代表する文化を生んだ人々なんだけれど、反面、差別・迫害の歴史もあり、なかなか難しい人たち。一人一人の個人はとてもハートが熱く、気持ちの良い人が多いけど、彼らと一緒に仕事をすることはそれなりにリスキーでもある。その彼らを使っていくんだから、石井さんはスペインの真髄を、ほんとよーく理解しているんだろう。

090805007_2 スペインの大地を踏み15年ほどで、アルプハーラの村フェレイローラに巡り合い、定住の地を見つけ出す。そして、今年で村民として20年が過ぎたはずだ。

 とは行っても、スペインのド田舎の町だからね。アジアからの外国人が、この土地に根を張って生きていくという事だけでも、スペインを表から裏からよく知っていないと出来ない。

 それはどの町でも同じことだよね。私も生まれ故郷を離れ、四日市と言う街に流れてきて、ここに家を建てた。アパート暮らし・サラリーマンだった時は何も感じなかった。ただ住民票がここにあるだけ。

 しかし、土地を手に入れ、その土地の人になろうと決意した日から、どうやって心の底から四日市人になれるのか、どうやって四日市人と認めてもらえるようになるか、常に悩み行動している。

090805002 これは簡単にはいかない。町内の大掃除では人一倍草抜きを頑張っているし、自治会の防災隊のメンバーにも入った。いやそれだけではない。この家を設計する時から、この土地はこの地域にとって、今までどういう役割を果たしてきたのかという事を一年考え、その役割を壊さない、さらに持続していくことが出来るような建物・外構を設計したつもりだ。

 それでも、まだまだわからないことだらけだ。まだこの街にきて6年と少しか・・・。石井さんには及ばない・・・。

 石井さんの絵。スペインの街を、田舎を歩いた人ならわかると思う。そこにある【生】や【生活】が見えてくるようだ。単純にかわいらしいだけの絵ではない。村人が長い長い時間・歴史の中で培って生まれた結果の形が、浮き出しているように見える。褒め過ぎか・・・!?

090805004 写真の山の中の白い村は、フェレイローラの近くのカプレイラ村。山の中といっても、日本のそれとは違い、針葉樹に囲まれたっといった感じではない。水も素晴らしいが、お陽さまの恵みも素晴らしく、野菜もフルーツも最高の物ができる。本気で旨い!

090805008 彼の家のキッチンが良い。カッコいい・・・!スペインの田舎家で、ただでさえ味わいがあるんだけど、部屋の中央に絵のようなコンロがある。庭の畑で採れたばかりの野菜達を、井戸水でザバっと洗い、ここでサっと調理する。冬は暖炉でじっくり調理もいい。実は私の考える理想のキッチンがここにある。この絵だけでは、なかなか説明できないけど・・・。

 写真に写っているロバは、石井さんのところにいたプラテーラ。プラテーラは名前。アンダルシアの偉大な詩人ファン・ラモン・ヒメネスさんが書いた「プラテーロとわたし」という叙事詩の中で、プラテーロというロバとの友情の話なんだけれども、そこから取った名前らしい。女の子だから、プラテーラ。

090805009_2 最後に、石井さんの写真。隣にいるのは、この年のミス・スペインになったハポンさんという女性。スペインには、ハポンという苗字をもった人がいる。ハポンはジャパン、日本という意味。実は、昔、伊達政宗が派遣した支倉常長率いる遣欧使節団の子孫と言われる一族がいる。ケッコウたくさんいる。なんとこの年(96年くらいかな?)、ミススペインになってしまった。遠くで血がつながっていると思うと、ちょっと嬉しい・・・。

 これは97年だった思うんだけど、たしか初めてハポンさん一族がセビージャに集まりパーティを催した時の写真で、永川先生の関係で私も手伝いに呼ばれた。実は私がカディス大学に聴講生として潜り込んだ時、ハポン一族の代表者的な人でカディス大学の教授をやっていらっしゃる方にいろいろお世話になったのでした。一眼レフのカメラでいろいろ写真を撮ったハズなのに、なぜかこの写真しか残っていない。ハポン一族の大事な資料になったのにね。

 こういう時に一緒に写真を撮れないのが、まだ20代だった私。ちゃっかり人に写真を取らせて、「送ってくれよぉ!」と言えるのが、バリバリ50代だった石井さん。私からブレザー借りて着てるくせに・・・ブツブツ・・・。

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太陽の花

090529002_2 5月に入ってから、非常に異常に忙しい。忙しい時ほどブログとか頑張って書けたりするんだが、それも先週あたりから難しくなってきたな。眠いし・・・。

 ふとパソコンの写真データを見ていたら、大好きなあの国の、ひまわりの写真が目にとまった。素晴らしい。心が癒える・・・!

 スペインといえば、大草原の延々に続くひまわり畑をイメージする人は少なくない。しかし、スペインのどこにでもある風景という訳ではなく、まぁアンダルシーアに多いのかな。

090529001_3 それも、マラガ近郊ではあんまり見なかったような・・・。コルドバに向かう道筋に、はるかな地平線まで続くひまわりの絨毯があったように思う。

 幼いころ、ひまわりは朝、東を向き、太陽の移動と共に昼に南、夕方には西を向くように習った気がする。しかし、スペインでは、朝のすがすがしい光をたっぷりと浴びたひまわりは、昼にはなぜか北を向いてしまう・・・。暑すぎてまいったもんで、種子を守らなきゃならないかららしい。

 それでも、スペイン語でひまわりは、Hirasol(ヒラソル)と書く。ヒラは、廻る・首を向けるという意味。ソルは太陽。太陽に向かって首を向ける花。日本語と同じなのだ!

090529003_2  広大なひまわり畑で、少女がチラッチラッと頭を出しながら走り回っている姿は絵になる。まるで映画のワンシーンだ。

 しかし、ひまわり畑からオッサンが出てくる姿は、絵にならんな。なんでだろ・・・?。【ひまわりと私】。シャガールの絵のようなワンシーンなのに・・・。・・・ブツブツ・・・っと。

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グラナダの山奥で・・

 この間、テレビ東京系の番組「世界を変える100人の日本人!」で、100人の一人として紹介されたフランス在住で世界的バレリーナの【竹島由美子さん】。世界中のバレリーナの80%が彼女が作ったレオタードを一度は着た事がある、という。

 つい最近、名古屋の建築家で私の高校の先輩にあたるN氏に彼女の話の断片を聞いたばかりで、「なんて名前の人だったかなぁ?」なんて言っていたんだけれども、偶然にもすぐにテレビ紹介されてビックリ。こんな事もあるんだな。

 竹島さんは、本業のバレリーナの仕事の傍ら、バレリーナ自身の目線で着心地が良くておしゃれなレオタードを作って、それが世界に爆発的にヒットとしてしまったとの事。

 それらのレオタードはすべて彼女本人の手仕事で作られていた。もちろん今となっては、年間数万着の生産量となっており、現在の彼女の工房(工場)はスペイン・マドリッドにあるらしい。

090513001 もう十数年前になるけれども、私の師匠(?)の故永川玲二氏とスペインじゅうを旅している時、グラナダの山の中で、バレェシューズを作っているという日本人の方を紹介された。

 「なんでみんなスペインでバレェなんだろ?」という疑問が湧くが、まぁそりゃ知りません。偶然でしょう。

 でも実は、スペイン人の家内製手工業の腕前は素晴らしいものがあるという事実は、ヨーロッパでは結構有名なのだ。物作りといえばイタリアというイメージがあるが、それはイメージ宣伝が上手かっただけ。昔から地中海を取り巻く文化圏の人々は、手先が器用で、勤勉なのです。

090513002_3 この方の名前はもう忘れてしまった。どっかに旅の日記があるはずだから調べればわかるだろう。(仮名)小野さんとしておこう。

 小野さんも若い時にヨーロッパに渡りいろいろな苦労をされて、何かの偶然でバレリーナ達が良いシューズがなくて困っているという話から、スペインの片田舎でシューズを作ることになった。私が訪ねた当時では、ヨーロッパ中どころかアジア・日本を含む世界中に小野さんのシューズが欲しいという要望があり、輸出をしていらした。

090513003090513004 そんな小野さんには、このバレェシューズの件でいろいろ悩みがあるらしい(当時の話)。やはりそんなに儲かるものでもないし、想像以上の大変があったのでしょう。

 グラナダの山奥、シェラネバダ山中の小さな小さな村で起こした事業。それがすでにこの辺一体でもっとも大きな企業となっており、村人のほとんどが彼の工場で働き、逆に彼がこの商売をやめようと思っても、止めてしまったら村中の人々が路頭に迷う事になってしまう。

 この時代にスペインに渡った人だから、たしか彼もまた何かの芸術に対して夢と希望を持っていたんだと聞いた気がする。企業のトップになるために渡西した訳ではない。食うために頑張ったんだけれども、思わぬ方向に人生が引っ張られていった。

090513005 小野さんもこの当時アラウンド40くらいだったと思う。40歳前後ってのは、人生大変だよ。しかし、彼もまた私なぞにとっては只々尊敬してしまう人物だ。

 素晴らしいではないですか。多くの人々の幸せを作っている。消費者も、従業員も、それらの家族も。そしてそれらすべての人々に対して、大きな責任を持っている。

 「世界を変える101人の日本人!」って番組なら、必ず101人目のジャパン・オールスターズに認定されるでしょう。

 ・・・ちなみに写真に写っている車は、小野さん自身の車。ご自宅に行くのに羊の群れの中をかいくぐらなければならんのですから・・・。どれだけ田舎なんだか・・・。

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外尾悦郎さんの言葉

090421001_220代の最後の3年間をスペインで過ごした。帰国してもう11年になる(2009年現在)。

それから日々を必死で生きているが、あれ以来、一度もスペインを訪れる事ができていない・・・。

渡西中は、まだ20代で中身が何にもないカラッポの人間だったのだが、幸運にも本当にいろんな方とお話する機会をいただいた。

そして、カラッポだったおかげなのか、先輩方からたくさんの素晴らしい言葉を頂戴した。

忘れらない言葉の一つが、外尾悦郎さんの言葉だ。

外尾さんは、今から30年も前、20代中盤で単身スペインに飛び込み、唐突にガウディのサクラダファミリアの彫刻集団の門を叩いて、『彫らせてくれ!』と言ったそうだ。

スペイン人は寛大で(異文化の侵入に対して寛容で)、突然東洋からやってきた若者を真摯に受け入れ、テストした。そしてその腕を信頼できるとして、バルセロナの誇りとも言えるサクラダファミリアの彫刻の仕事を与えた。

そして今や彼は、世界で最も有名と言っていい程の石の彫刻家、マエストロとなっている。

090421003_2外尾さんにお会いできたのは、私が28歳の時だったか・・・。師匠・永川玲二先生に連れらせて、バルセロナの外尾さんのお宅を訪ねた。赤福が大好きと言ってくださった奥様でピアニストの比石妃佐子(ヒセキヒサコ)さんと、確かまだ小学一年生くらいだった娘さんも温かく迎えてくれた。

彼は40代で、主任彫刻家となっていた。郊外の広いご自宅には専用の彫刻室があり、すでに指導者として高い地位を得ていた。

090421002_2ビールやワインをさんざんいただき、手料理もたらふくご馳走になって、若輩の私は只々平伏しているだけだったのだが、失礼にも酒の勢いで、『こんな高層建物を石で作るなんてさっぱりわかりません!鉄筋とか入れるんですか?』なんて聞いてみた。いや、もう覚えていないが、もっと失礼なこと言ったような気がする・・・。

外尾さんは、そんな私に一言、『石の心を理解しなさい!』と言った。そして、建築を志す私の未来への不安や戸惑いなど、とても良く聞いてくださり、意見してくださった。素晴らしい夜だった。

【石の心】は未だに理解出来ないが、その時の外尾さんとほぼ同じ年齢になって、彼が何を言いたかったのか、少しだけわかるようになった気がする。

石であろうと木であろうと、その物があるべき姿にしてあげればいい。目先の技術にとらわれず、自分の心でその物の心を見てあげよう。

ん~・・・と、書いてみたが、文章にするとイマイチよくわからんな。この歳になっても、やはり中身のカラッポ加減はあんまり変わっていないようだ・・・。

そんな感じ・・・ブツブツ・・・・・。

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