ナバパロス。マドリー(マドリッド)から北北東に180kmほどの、小さな小さな田舎町。いや写真を撮ったこの時には、この街には誰も住んでいなかったんじゃないだろうか。朽ちた村のようだった。
今、いろんな人に会うたびに、『しばらくスペインで遊んでました!』なんてカッコつけた戯れ言を言っているが、実はそればかりでもない。確かに、あまり建築の勉強などはせず、ただただ旨い魚と旨い酒を、輝く太陽の下で毎日かっ喰らっていたのは事実だが、限られた時間とお金の中で、貴重な体験もいくつかあった。
カディス大学に聴講生として在籍していたものの、もともと建築学科のない大学。授業はあんまり面白くない。そんな中、よく夜行バスで700kmはなれたマドリーまで遊びにいった。たしか学生証があると、片道1500円くらいと安い・・・。
ある日ぶらっと歩いていたマドリッド大学の校庭で、【クラッセ・デ・アルキテクチューラ・ルスティカ】というポスターを発見。
クラッセは【授業】、アルキテクチューラが【建築】で、ルスティカが【田舎の】という意味で、【田舎の建築勉強会?】なのか、【郷土建築研修会?】なのか、まぁよくわからなかったが、ともかく街に戻って事務局というところを探し出し、「参加してもいい?」と聞いてみる。
スペイン語は、日常会話ではもうさほど困らなかったが、専門的な単語の飛び交う大学の授業はさっぱりわからず(いい加減な聴講生だったから、それはたいした問題ではなかったが・・・)、そんなレベルで参加して迷惑じゃないか?と聞いてみた。すると、めずらしい東洋人が来たと驚き、そして逆に喜んでくれた。
その場で申し込み・・・、たしか無料・・・。西欧では、こういう文化的な活動は無料って事が多い気がする。日本では、法的に必要な講習まで○万円必要!なんて言うのに・・・。
翌週、カディスの自宅からボロの愛車で900km走って【NAVAPALOS】の街へ。日も暮れ始める頃、到着・・・。着いた時間が悪かったのか、「これ・・・村か?」・・・・・。
十数軒ほどしか見えない小さな建物達には、人影なく、いやそれらの建物はみな屋根が落ち、廃墟のよう・・・。遠い異国の冒険で・・・、急に心細くなる・・・。
広場にたどり着き、明りと人影を発見。おお!事務局で見たイレアナさんだ!「安心、安心、ひと安心♪天才クイズだ!ドンと来い♪!」(・・・・40代の東海地方出身の人なら知っているでしょう?天才クイズの主題歌・・・・・。)
どうやらここは、一度は人がいなくなり廃墟になった集落を、行政かNPOみたいなところが借り受け、地方文化の研修に使っている村の様子。今回は、建築を学ぶ学生の他、建築を専門にする職業の人や、郷土文化の研究者のような人々を集め、【スペイン中北部の伝統的な古民家の建築方法の研修】だったようだ・・・。来てから、初めて理解した・・・。
20人ほどの参加者だったろうか。中米からの若い建築家マルコス氏の発表は、日本などでは聞けない心を動かされるものだった。少なくとも、先日聞いた安藤忠雄先生の講演よりもずっと・・・。
日本では、意匠だ・構造だ・風だ・光りだ・断熱だ!なんて言っているが、夜露をしのげる【家】があることの幸せ、人々がやっと手にする【夜露をしのぐ家】という環境をどのように保っていくか、そんな現実の中で戦う建築家達の苦労を聞いた。恵まれた環境に気づかずに自分勝手に生きながら、ただ不平をもらし金で楽を得る・・・。それが我々の文化なのだろうか・・・と考えてさせられてしまう。
初日に到着する前には、実はその土地の赤土と藁を混ぜ合わせて腐らせ、古民家の壁の材料にするためのブロックを作る研修が行われていたようだ・・・。つまり時間を間違えて現地に行ったのだと、これも後から気がついた・・・・・。
夜は、地元の料理を皆で食べ、地元の方々の歓迎を受け、みなで唄なんぞを歌うというお決まりのパターン。でも、やっぱりそれは楽しい。
そういう時、たいていどこに行っても、日本の唄を歌ってくれ!と言われる。唄は万国共通のコミュニケーションツール。
そんな時の18番は、「上を向いて歩こう!」。リズムも歌詞も簡単だし、翻訳しても歌詞がわかり易くて深い・・・。どっかの若手歌手がイスラエルでアラファト議長の前で唄ったようだけど、あれなら、私の方が上手かった・・・・・。
深夜まで続いたキャンプファイヤーの炎は今でも思い出す・・・。
建築の様式は、もちろん土着の素晴らしいものであるけれども、真新しいものはなく、私がこれから日本でやろうとしてる事には役に立たないかもしれない。しかし、異国で経験する【ふれあい】という経験は、私の今の建築に対する考えに影響していると思う。
最終日には、修了証ももらった。意見を求められてもまともに答えられなかったのにね。ありがとうございました。
あの国では、建築に携わり、本気で建築に向き合っている人の事を【アルキテクト(建築家)】という。
私は、長いスペインでの滞在中、スペイン人に対しては自分は日本の【アルキテクト】だと自己紹介していた。 しかし、めぐり会う日本人相手には、どうしても自身を【建築家】だとは言えなかった・・・。この時はまだ、現場監督の経験はあるが、設計の実務経験も建築士の資格もない。日本ではそういう肩書が大切なんだ・・・と思っていた・・・。いや、日本って、そんな雰囲気がないだろうか・・・。
かの国で、たくさんの【アルキテクト】にあった。衣・食・住の【住】のところを真剣に見つめて生きている人の事を【アルキテクト】というのだ。
だから今、私は、堂々と『私はアルキテクト・建築家だ!』と言える。もちろん設計の経験も資格もあるが、知識はまだまだ乏しくても、【住】を専門として真剣に働いているから。
私は、何もない街ナバパロスで生まれ変わった。建築家になった。
ナバパロスで私が得たもの・・・。人が【住む(生きる)】という事を真剣にサポートするのが建築家だということ。それと、この娘・カロルの写真・・・。ちょっと、美人でした・・・・・スペインの女子大生・・・・・ブツブツ・・・・・。