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2011年1月の3件の記事

来年のための倒木

110131001  今回の宝物は、キャッスルマウンテンの頂上ちかくにある。その輝きは、400カラットの原石から掘り出したという伝説ダイヤモンド【ルイカルティエ】にも勝るとも劣らない・・・。

 大将ラゲッティの顔の広さ・・・面積の事ではない・・・人望と常に前向きで献身的な人柄によるお付き合いの広さだ。(海賊のドンとは思えない表現だが・・・)まったく、恐れ入る。

 今回船を運んだのは、四日市市内の住宅街の中にある緑地公園。ラゲッティがここの公園管理からの依頼を受けたもので、公園整備のための不要樹の伐採・・・。

110131002_3 そこにある樹木を片っ端から伐採と言う訳ではないため、残さなければならない樹木を傷つけないように・・・。空中に縦横無尽に生える枝の動きを精密に計算し、「ここしかない!」という方向に、その年輪の深い太い身体を倒さなければならない・・・。ラゲッティが簡単にやってのけたその作業は、素人では出来ない匠の業だ・・・。

 倒木の前、彼はその大きなナラの樹皮に白いチョークで正確にマークを付け、おもむろにハスクバーナのヘルメットを外した。これまでこの山を守り、そしてこれから薪となって我々家族の来年の暖となってもらうことへの、感謝の礼をする・・・。

 もう一度そのナラの木を見つめた彼は、再びゆっくりとヘルメットをかぶり直し、防護シールドを下ろす。慎重に、しかし手早く入れられるチェーンソー。公園管理のオジサンの見守る中、樹高12m・幹径60cmを越えるそのナラは、一瞬で思惑の方向へ倒れていった。

 1101310044人で約2時間、枝打ち、玉切り作業に没頭する。寒波により各地で雪の被害が出る寒い日であったが、すぐにサングラスが汚れて見えなくってしまうほど汗を掻いた。冬はこれに限る・・・。

 切ったばかりの木というのは、もちろん含水量が多い。ナラのような広葉樹だと70%前後と言われ、杉のような針葉樹は100%を越える。(ちなみに、木造建物の構造用建材として使うものは、含水率20%以下まで乾燥させて使う。造作材は15%以下程度。)

 水分が多いという事は、チェーンソーで切った時のオガクズも湿気を帯び、サラサラではない・・・。長い時間使っていると、この湿ったオガクズとチェーンソーから出るオイルが混じり、機械の内部にこびり付いてくる。

 110131005この日は、朝からチェーンの回転に今一つ爽快感がない。最後にチェーンがバンっ!と外れた・・・。危険だ・・・。ケガはなかったものの、刃とガイドバーがイカれてしまった・・・。

 手入れ不足が原因・・・。スプロケット廻りがドロドロだ!毎回内部の掃除をする必要はないが・・・。径の太い堅木をバンバン切るなら、チェーンにもずいぶん負担が掛かっている・・・。細かな手入れは、命を守る事になる・・・。

 昼過ぎ、自慢の船にまたたっぷりとお宝を詰め込む。グッと沈み込んだサスペンションに不安を感じながら、その小さな山を降りた。

110131006 今回もずいぶんたくさんの山分け分をもらったつもりだったが、アジトに帰って下ろしてみるとこの程度・・・。う~ん、やっぱり軽のワゴン(自慢の船の事・・・)では、この程度しか積めないのか・・・。

 こうなると、例えば1.5tくらいのトラックがほしいなぁ・・・などど思ってしまう・・・。チェーンソーもほしいし、専用ヘルメットなんかも・・・。(今シーズンから、我がグループも全員ヘルメット着用し、安全作業に気を付けています・・・海賊ですが・・・・・。)

110131007_2 薪ストーブ。光熱費のいらない暖房器具・・・。長い時間、二酸化炭素を吸って酸素を出してきた樹木たちは、燃料として燃やしても、それ以上の不要な二酸化炭素を放出しない、とても環境に優しいもの・・・。

 ただしこれ、なかなかの重労働が伴う。シニヤサッカーや野球のような【オジサンの趣味】にならないと続けていくのが難しいが、【趣味】だと思うと、財布からいらぬ出費が放出する・・・。その出費は、・・・光熱費より多いかもしれない・・・・・?

 でも、この火はやめられない・・・ブツブツ・・・・・。

 

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はなれのリフォーム

110125001_2 いつものように写真家の米田正彦氏にお願いして現地へ。12坪ほどの小さな建物だけれども、撮影は朝一から日没後まで続く。もちろん、良い光の時間を探すためだ。

 なかなか寒い日だった・・・。しかし朝からとても天気が良く、快晴。撮影には最高の日。中庭を挟んで母屋を向かいに見る【はなれ】の改修で、面積が小さく、どれほどの写真が撮れるかなと少し心配だった・・・。

 先日、また一つお客様のリフォームが完成し、出来栄え素晴らしく、今回も米田氏に完成写真を依頼したというわけだ。

110125005_2 彼の写真はまだ仕上がっていないが、ここで少しだけ紹介したい・・・。

 陶器を扱う御商売の先代が、お客様を迎えるために作った建物。丁寧な大工仕事であったといえども、50年近い歳月でいろんなところで痛みが激しい・・・。

 広い敷居内には母屋を含めいくつもの建物があるが、みな古い。今回のご依頼は、敷地全体の将来計画と各建物の耐震検討から始まった。

 まず手を掛ける事になったのが、この【はなれ】の改修。大きく傾いた床を直し、構造補強をして、「娘や孫たちが帰ってきても気持ち良く泊っていけるような、そんなリフォームを!」というのがご希望だった。

 毎日使う部屋じゃない。でも、お客様をお迎えする【はなれ】だからこそ、日常とちょっと違う少し張りつめたような空気感があっても良いんじゃないか・・・。品の良い旅館のような感じが出せないか・・・。試行錯誤が続いた・・・。

110125004_2 当然、予算との戦いもある。いくら掛かってもいいなら、新築に建て替えの方がいいかもしれない・・・。ポイントを絞って、リフォームらしく、残すべきところは残す・・・。しかし、どうしても基礎の全体補強が必要であったため、床・壁は取り除くが、あつらえの良い船底天井は残した。

 仏壇や置物が煩雑に置かれていた床の間を整理。仏壇を折戸のある仏間の中に納め、先代が残された数々の陶器が整然と飾れるような、奥行きの深いケヤキの床の間を造る。

110125006_2110125003_2 狭かった便所を、前の廊下を取りこんで1坪の広さにし、高級旅館やホテルのような、洗面を兼ねたトイレに・・・。正面に大きな鏡を配し、デザインの面白いクロスとタイル、そして小さな障子窓などで装う。

 建具枠や廊下の床板もタモ材で統一。目のしっかりした質感が、既存で残した古い材ともしっかりと調和し、独特の空気を造った・・・。

 なにより、面白いのが、中庭を望む北側の縁(廊下)を3間半の長さがある土間にしてしまう事。今まで室内と中庭という2つの空間の間にあった見えない大きなへだたりが、室内にある外スペース【土間】という中間地帯を介し、今まで以上に広さを感じながら、流れ良く繋がったように思う・・・。

 昔は玄関以外では、靴は外の踏石の上などに脱ぐものだった・・・。しかし、今の時代、お客様の靴が、外に脱ぎっぱなしというのは喜ばれない・・・。

110125002 詳細は、米田氏の写真が仕上がれば、またHPにUPしたい。小さな建物であるが、すばらしい写真に仕上がっていると思う・・・。なんか、どこかの高級旅館のような・・・茶室のような・・・和風博物館のような・・・。

 完成し、早速母屋の計画も進めたいとお話しをいただいた・・・。いや、しかしこれは、やっぱり大工さんと担当の監督さんの、細かな配慮と丁寧で確実な技術のおかげだよね・・・。

 こういう気持ちの良い仕事ばかりならなぁ・・・ブツブツ・・・・・。

 

 

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本当の、最後のミッション

110108001 地球の、その姿を撮影すること。それが最後のミッション。

 【イトカワ】の観測終了後、彼の下面に備え付けられたカメラと保温ヒーターの電源は、ずっと切られたままだった。大気の無いその世界で、何百度という温度の変化に気の遠くなる程長い時間耐え続けたその身体で、彼は最後のミッションに挑んだ。

 4年で帰ってくるつもりだった。太陽光パネルを除けば2mに満たないその小さな身体で、【(24143)1998SF-36】という名の小惑星にたどり着き、その星の断片を採取する。そして、必ず地球に帰還する。彼は2度の計画変更のもと、3度目に与えられたその使命を遂行すべく、2003年5月9日13時29分25秒、M-V5ロケットにて遥か宇宙を目指して旅立った。

110108006 その小惑星は太陽系の中を回っている。地球と火星の公転軌道に交わるように飛びながら、自身も太陽の周りを公転している。別名【イトカワ】。丸い星ではない。ちょうど大豆を少し押しつぶしたような、そんな形をしている。最大径でも535m。石油タンカーよりも少し大きい程度だという。

 彼が【イトカワ】を目指して地球の大気を離れたとき、その星の名前は、実はまだ【イトカワ】ではなかった。宇宙科学研究所がこの日本屈指の宇宙計画に期待し、日本のロケット開発の父・糸川博士の名前をこの星につける事を、この星を1998年に発見したライナー氏に依頼。今回の打ち上げの3ヶ月後の2003年8月6日に【イトカワ】と命名された。

110108005

 【スイングバイ】。天体の重力と公転運動を利用して自身の運動方向を変更し、また増減速をする事。この実験にも成功した。一旦地球を離れた彼は、公転しながら再び地球に近づき、【地球スイングバイ】をつかって大きく方向転換し、増速。【イトカワ】の軌道に近づきランデブーする。

 2005年9月30日、イトカワに約7kmまで近づいた。しかし10月2日、姿勢制御装置【リアクションホール】が故障。全3機のリアクションホールのうちすでに1機が故障しており、今回の故障で姿勢制御がとても難しくなった。まだ最大の目的である「イトカワの断片の採取」は行われていない。断片の採取のためには、なんとしても一度【イトカワ】に着陸しなければならないのだが・・・。

 化学エンジンを併用し姿勢制御を行う。しかし、帰還するための燃料も確保しておかなければならないため、地球から数億キロ離れたその空間で、エンジン噴射を精度よく制御することが必要になる。とは言え、地球からの通信は、光の速度でも片道数十分を要してしまう。そのため彼は、そのすべての行動を自分で判断し自分で決定しなければならない。

110108008 2005年11月12日、小型探査機ミネルヴァを投下。しかし、【イトカワ】への着陸に失敗。

 2005年11月20日、今度は彼自身が【イトカワ】に着陸を試みる。ターゲットマーカー発射。着地。そのマーカーを目指し、降下開始。

 ・・・しかしここで、何らかの障害物を検出、タッチダウン(着陸)の中止、上昇。再び降下を試みたが・・・。

 成功したのか失敗なのか、2回のバウンドのあと、約30分間のイトカワ着陸・・・?ただしい状態で着陸したとは思えない・・・。試料採取も行えない・・・。

 一時途絶えてしまった地球との交信が再開出来た。管制室の緊急指令で上昇、離陸に成功。これは偶然にも、地球と月以外の天体において着陸したものが再び離陸を成し遂げた世界初の出来事となってしまった。

 11月26日、2回目のタッチダウンに挑戦。試料採取には、たった数秒間のタッチダウン(着陸)だけでいいのだが、身体中に数々のトラブルを抱え、また帰還のために燃料を多く使う事が出来ない。これが事実上最後のチャンスか・・・。

110108009 予備のターゲットマーカーを落とす事は中止。コンピュータが2つの目印を見て混乱する可能性があるからだ。マーカーによる自動制御はぜず、記録モニターを使って降下。すべて彼自身が自分で判断していく。

 11月26日07時07分、約1秒間のタッチダウンに成功。即座に離脱。試料採取も、どうやら成功した。しかし離脱の際に、スラスターB系から燃料のヒドラジンが探査機内部に漏洩。弁を封鎖・・・。

 11月27日、管制室からの姿勢制御命令が不調に・・・。漏洩した燃料の気化によるバッテリーの放電が原因か・・・。

 12月2日、化学エンジンの再始動を試みるが失敗。12月4日、キセノンガスの直接噴射による姿勢制御を試み、成功。

 12月8日、再び燃料漏れ発生。キセノンガスを使っても姿勢を制御する事ができず・・・。

 その後、通信途絶・・・・・。

 46日後、2006年1月23日、彼からのビーコンを受信。彼は生きていた。太陽電池発生電力が極端に低下して、一旦電源が完全に落ちていた。化学エンジンを動かすヒドラジンも残量がなくなっていたが、イオンエンジン用のキセノンはまだ残量を保っている。電力を回復させれば、地球帰還の可能性はある・・・。

 3月6日、3ヶ月ぶりに彼の位置が特定された。イトカワから1万3000km。地球からは3億3000万km。地球の直径を1万2700kmとすると、その約26,000倍の距離だ。光の速度でも18分20秒かかる。ちなみに光は1秒間に地球の直径の23.5個分を進む。

 それから4年3ヶ月、当初の予定より3年以上も遅れ、彼はその長い長い道のりをボロボロになって地球に戻ってきた。その痛々しい小さな体は、もとよりそんな長い航海を予定されておらず、耐久的にも限界を越えていた。しかし彼は、その本来の目的を達成し、彼の前部につけられたカプセルに地球への素晴らしい、そしてとても大切なお土産を詰め込んで帰ってきた。

 2010年6月13日、最後のミッションの日。19時54分、彼はカプセルの切り離し成功。カプセルは大気圏突入後、地上5000mにてパラシュートを展開し、23時08分、オーストラリアのウーメラ砂漠に軟着陸する・・・。

 22時02分。カプセル切り離しに成功後、彼は目の前に青く輝く地球の姿を撮影した。それが彼に与えられた最後のミッション。5、6枚撮影した最後の写真を管制室に送信中、通信途絶・・・。

 最後のミッションを終えたその彼の身体を安全に地上に送り届ける為の如何なる装置も、彼はその身体に身につけてはいなかった。彼の【本当の最後のミッション】は、ここから始まる。大気圏の中に入り燃え尽きて消える事・・・。

110108010 はたして、小惑星探査機【はやぶさ】は、数々の困難を退け、7年の歳月のもと地球に帰還した・・・と言われている・・・。確かに彼に積まれたカプセル・・・世界が注目する、宇宙のその遥かなる力と秘密を解くための試料が積み込まれた・・・は、見事に帰還した。しかし彼・・・はやぶさ本体・・・は、その最も重要な目的を達成したあと、本当の最後のミッションを遂行し、光となって消えた。

 昨日、家族で四日市博物館のプラネタリウムに行ってきた。【はやぶさ】帰還の記念映像番組を見た。最後に、【はやぶさ】とカプセルは大気圏の中に突入し、月よりも明るい光となって、オーストラリヤの夜空を飛んでいた。たくさんの光はやがて一つずつ消えていき、最前方の一つの光だけが最後まで残った・・・。

110108004 その身体が地上に落ち、人や動物を傷つけない事。地球の如何なる環境も変化させない事。地球に落ちない事・・・。

 それが、彼の【本当の最後のミッション】だったことを感じたのは、私だけか・・・。

 それが、そう、父の仕事なのかなと、少しだけ思ったのは、私だけか・・・。

 私は・・・あなたは・・・本当の最後のミッションを・・・遂行できるか・・・・・ブツブツ・・・・・。

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