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2010年5月の3件の記事

ギターラ・フラメンカ

100526001 師匠、ガブリエル・カブレナ。プロのフラメンコギタリストで私のお師匠様!

 エラそうな事を言いました。私はそんなに弾けません・・・・・。いや、ほとんど弾けません・・・・・。ガブ先生に習ったのも、半年くらいでしょうか・・・・・。それももう、15年近く昔だわなぁ・・・。

100526003 スペイン文化と言えば、フラメンコ!独特でハートに来る音楽と、情熱的なダンス。スペインに観光で行く人のほどんどが興味を持っているし、スペインに行かなくても国内でもいろんなところでフラメンコ教室があったりして・・・。

 私もご多分に漏れず、渡西してすぐにフラメンコ好きになった。なんたって、あの情熱的な空気感と、ドンドン弾きこまれるギターサウンド。・・・カッコいい・・・!あんなギターが弾いてみたい・・・!「もしもピアノが弾けたなら」の西田敏行さんの気持ちだ・・・。

100526002 そう言えばアメリカに行った時も、すぐにカントリー好きになったっけな。バンジョーは弾けなかったけど、蛇皮のウエスタンブーツは履いてたっけ・・・。つまりうわべだけのカッコ付けたっだんだよね・・・。まっ、ブーツは今だに履いているけど・・・。オヤジなのに・・・。

 フラメンコもカントリーも、民族音楽は人々の苦労や苦悩の歴史を唄にして伝えるところから始る事が多い。カントリーはアメリカの開拓者の苦労の中から生まれ、ブルースもまた奴隷たちの苦悩の時代から生まれる。

100526004 フラメンコという音楽も、18世紀、ヒタノ(ジプシーのスペイン語・ヨーロッパの移動型民族)達の苦労と、レコンキスタ(国土回復運動・キリスト教のイベリア半島奪回)により追われたモーロ人(北西アフリカのイスラム教徒)の苦悩が、時を越えて混ざり合い誕生したと言われる。

 とは言え、そういう事は、歴史書でどれだけ読んでもわからん・・・!スペインに住んで、実際にヒタノ達と話をしても、その裏に隠されている歴史や差別などの背景は・・・難しい・・・。フラメンコ好きと言っても、あの気迫のこもった唄と情熱のダンスは、その重い々々背景を理解しないとよくわからんとです・・・・。

 でも、あのギターは良いねぇ・・・。アメリカでブーツを買ったの同じで、カッコ良いという理由だけなんだけど、なんとか弾いてみたい・・・。ポロポロポロンっと・・・!

100526006 そんでもって、知人のスペイン人に紹介してもらったのが“ガブちゃん”こと「ガブリエル先生」。師匠です!

 マラガのとあるアパートの最上階に奥様と二人で住んでいた。アンダルシアの街のプロ。こんな人にド素人が教えてもらっていいのだろうか・・・。しかも確か1時間1500円くらいだっかかなぁ。安い・・・・。

 なかなかの男前で、とても親切。仲の良い素晴らしいご夫婦だった。

 結局私の方が別の街に移動せねばならなくなって、どうだろう、半年くらいしかお付き合い出来なかったっけな。あぁ~、あの後もマメに連絡しとけばよかったなぁ。今はどうしているんだろう。

 スペインには、ギターのサウンドが良く似合う・・・。街を移動した後も、いつも下手くそギターを弾いていた。安ワインとチーズとギター。それだけで、最高の時間だった。

100526005 今も事務所にはギターが置かれている。疲れたら、ポロポロポロンっと・・・!いやいや本当は、帰国後仕事や結婚・子育てで、ほとんど弾いてなかったんで、もうぜぇんぜぇん弾けません・・・!くやしぃぃぃぃ!!

 実は1本は妻のもの。彼女もまた、かの地を知っていく中でギターラ・フラメンカ(フラメンコギター)を好きになっていく。

 でもね、彼女のギターの方がいいギターなんだよね、俺のより・・・。音も弾き易さも・・・。どうも私は昔から、なんも考えなしですぐに買ってしまうもんだから、ちょっと違うんだよねぇ・・・。安物買いのなんとやら・・・ブツブツ・・・。

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みんなのたてもの

100513001_4 昨夜は、勉強会。今回は私自身がスピーチというか、講師というのを依頼された・・・。疲れた・・・!

 独立してから、大勢の前でしゃべるってのが少なくなった。まして、決められた時間を、何らかの意図、あるいはストーリーを持ってしゃべるってのは、結構大変だ。

 依頼された時は二つ返事でOK。しかし、「設計者としての考え」なんちゅうタイトルを与えられたんだけど、よく考えたら同業の方々の勉強会。「そんなこと、いまさら教えられてもねぇ。あんまり価値のない勉強会だった・・・。」なんて言われちゃ困る・・・。同じ建築家やインテリアコーディネーターの人々に、なんか勉強になる事なんて・・・。

100513003_3 と悩んで、結局、20代の最後の時間を過ごした大好きなスペインの話でつかんで、自分なりの設計へのこだわり・・・へと話を持っていくことにした。(薪ストーブ話にしようかと思ったけど、あまりにマニアックになってしまいそうで・・・誰も聞きたかないか・・・・・。)

 印象的なスペインの風景の写真を何枚も出し、渡西の理由のは?というところで、将来独立するときに、「何か自分だけの特別な個性を持ちたかった。」と話す。「地中海の建物のスタイルは日本人ウケが良いから、そのスタイルを持ってくればいいかなんて思ったんですが・・・・・。」

100513004_4 しかし、渡世して実際にスペインの建物を見て、いやスペインの人々に会い、スペインの気候を感じ、スペインの歴史に触れ・・・・・、このいい加減な動機は、すぐに反省せざるをえなくなった・・・。

 この土地、この気候、この文化・習慣、この人々。全ての事柄が入り混じった上で生まれてきたこれらの建物。形だけ日本に持っていっても、ただのハリボテにしかならないじゃないか・・・。

 スペイン人を思い浮かべると、笑っている顔ばかりが出てくる。別にヘラヘラしているんじゃない。心の底から、生きる事を楽しんで笑っている。

100513006 彼らは、街に出ている。街の中心街ってことじゃなくて、住宅街でも。街のそこここでおしゃべりをしている。挨拶をしている。オラ!ブエナ!コモエ・・!ケパサ!

 この国に住まう人々の、明るくて優しくてイキイキとした生き方。日本に比べて決して経済的に豊かというわけではないのに、人にも街にもある種の活気があり、人々の心には余裕がある。

 そこで、スペインに滞在できる限られた時間は、この素晴らしい文化や習慣、気候にどっぷり浸かり、その上で成り立っている建築文化を肌で感じる事に専念しようと考えた。

100513008 元々彼らは農耕民族である。キリスト教がレコンキスタ(国土回復運動…キリスト教が800年を費やしてイスラム教から国土を取り返した・・・?)以降に羊を放牧させる文化を持ち込んだが、それ以前のイスラムの時代は、土地を開拓し、大地に根づいた農業がとても発達した。土地の開拓はドンドンすすみ、今では国土の大半は開墾の跡がある。

 男たちは、大勢集まって村から遠く離れた畑へ向かう。それこそ一度畑に行ったら、2泊3泊をすることになる。広大な畑の一部に建てられた農業小屋は、彼らの宿泊小屋でもある。

100513009 女子供や年寄りたちは、部落に集まって住む。互いが支えあい助け合いながら、守りあいながら村という単位で生きていく。

 各家には、敷地境界線なんてない!どころか、家はみんな繋がっている。一つの村は、一つの家とも言えるのだ!

 そのことで、家は個人個人の勝手な建物ではなく、例えば外観などは、村の他の人たちと共有のものとして存在している。

100513010100513002_6 有名な、白い村の壁にたくさん掛けられた花の鉢。それらも、決して自分勝手に外壁を飾って遊んでいるのではなく、街の美化と地域への責任感という意味が根底にある。

 今の日本は、どうだろう。住宅街に人が歩いていない。立ち話も挨拶の声も聞こえない。隣の人は誰ですか?隣保の人でも名前もしらない。四方の境界線にハッキリとした塀を築き、この塀から内側は「見るな!入るな!ゴチャゴチャ言うな!私の勝手でしょ!」って家が多くない?

 もちろん、文化・風土の違い。歴史と習慣の違い。どちらの国も、都会と田舎では違う。だたし、わが日本も、ばあちゃんの時代までは、もうちょっとスペインに近かったような・・・。

100513005_2 帰国し、いろんな修行をし、自分の設計事務所を立ち上げて、設計計画の上で気を付けていること、【こだわり】がある。

 「施主様の希望や考えを最大限に取り入れ、コストや施工性等を検討することはもちろんですが、建物が自分勝手に自己都合のみでデザインされることなく、その土地と、その建物と、そしてそこに住む人の、地域との繋がりを十分に考慮することにも重点を置きます。地域にとってのそれらの役割を考えます。」

 ってなことを話した。いや、要所要所に笑えるコネタを入れながら・・・・。

 しかし、話すって難しいよね。聞いてる人がアクビをするような話じゃいかんし、だいたい時間が全くうまく合わない・・・。与えられた25分に対して、はしょってはしょっても40分掛かっちまった。最後は無茶苦茶早口でね・・・。で、なんか大事なこと言ってないような・・・・・。

 まっ、聞いてくれた人のブログでは褒められていたから、いいでしょ!しゃべりのプロじゃないしね・・・・ブツブツ・・・・・。あっ、しゃべるのも仕事か・・・・・。

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暑い!熱い!春!

100501003_3 真っ青な空と海。紫外線が1年で最も多い時期だけど、サンサンと輝く心地よい太陽の下。こんな場面で食べるシーフードヌードルは最高だね!

 今年は4家族合同でのキャンプ大会となったGW恒例の白浜。昼についたらまず、カップラーメンでお昼!!

 バーベキューだとか海の幸だとか、そんなものは夕方から腹いっぱい食べる。長距離運転の後の空腹は、太陽の下でみんなでカップラーメン。これが、意外にいいんです。子供たちのウケもいい!

 カップやきそばじゃぁダメだな。生やきそばは旨いけど・・・。シーフードでしょう。海だし・・・・・。ビール飲みながらってのがいいんだけど、とりあえず目的は子供たちを楽しませること。昼間から「おしゃけ」はいけません・・・か・・・。

100501001_5 やって来たのは秘密の海。海の似合う男は、自然と海に向かう。GWだっていうのに、ぜんぜん人がいない。しかし、海の家は開いているし、そこのバンガローで宿泊まで出来てしまう・・・!そんな我々の秘密の海・・・。

 今年も晴れ。もう何度ここへ来ただろうか。晴れなかった事がない。

 遠浅のセルリアンブルーの海。小さな波が静かに打ち寄せる白浜を歩く。それだけで真っ赤に日焼けしてしまう。

100501002_2 しかし、暑いと言ってもまだ5月。泳ぐのは早いぞっと言う前に、いきなり子供たちは、ドブン!。海に来たら海とたわむれる。その気持ちよさは、ヒザ下しか海に入らない大人たちにはわからない。

 近くのスーパーでドッと魚介類も仕入れるが、海から上がったものもそのままバクっと!・・・うっ、旨い!

100506004_2 夜は花火。子供たちが寝静まったら、北斗七星を見あげながら一杯。一晩中、小さな波の音が聞こえる。

 「長い夜」といきたいところだか、目が開いてられない。歳をくうと、早起きになるが、夜が眠くていけねえぇ。しかし気付くと、もう誰も起きていない・・・。23時30分。

 2日目はまたたっぷり海三昧。朝5時から釣りへ行く子供たち。朝飯を食べたら、また海へドブン!今回3度目のバーベキューで肉を腹いっぱい食わせて、帰途。車中子供たち、熟睡。そりゃ、そうだよなぁ。安く遊ばせてもらいました・・・・・。

100506005_2 一日置いて、2日間のサッカー大会。ともかく今年のGWは晴れ続け、汗もいっぱい掻き、体力もたっぷり使った。ヘトヘトだ。 それでも元気な子供たちは、バタバタと通学していった。私も気合いを入れなければ・・・。

 休めない休日のお父さんとお母さん・・・。でも彼らの笑い顔をたっぷり見れたのは、なによりの癒しですか・・・ブツブツ・・・・・。

 

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