倭姫さんに初もうで
今年の初詣は、伊勢倉田山の倭姫宮(やまとひめのみや)へ。・・・って、実は毎年年始に倭姫さんをお参りしている。伊勢の神宮さんにも毎年お参りするけれども、今年は妻が風邪を引いてしまったので、伊勢の神宮への初詣はまた後日。
伊勢神宮と言わずに、【伊勢の神宮】と言っているのは、【神宮】とは、皇大神宮(こうたいじんぐう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の二つの正宮を中心に別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)等の総計125のお社(やしろ)の総称なので、【神宮】という言葉だけで伊勢のこれらのお社のことを意味する。正式には【伊勢神宮】という言葉は無いらしい。熱田神宮や明治神宮とは格が違うんだと・・・。
倭姫宮はその別宮の一つ。あの天照大御神を永遠に祀る地を求めて諸国を旅し、伊勢の国に【神宮】を創建した【倭姫命(やまとひめのみこと)】を祀った宮である。創建されたのは、実はまだ最近。1923年というから100年も経っていない。日本神話の中に登場する由緒正しい方だから、明治になり倭姫命を祀る神社を創立する声が高まり、1919年に帝国議会にて予算可決され建設された。倭姫命は、伊勢に神宮を創建したあと、祭祀(さいし)や神職の制度を定め、神道の基礎を作ったとされる。
実はここ、実家の裏山だ。ガキの頃からいつもここで遊んでた。そんな立派な方が祀られているなんて、考えた事もなかったな。隣接する神宮徴古館の敷地内の公園で、毎日野球やって、自転車乗り回して、花見やって・・・etc。倭姫宮がある伊勢倉田山には、母校の高校もある。大人になってからも、散歩したりジョギングしたり、観光ガイドに載っているような所だけれど観光客はとても少なく、静かでホントいいところなのだ。有名で厳粛な場所と言っても、地元の人たちには生活の一部。ここで悪いことだってやったなぁ。正式な公園じゃないから公衆便所なんてなかったし、タチションだってやりました。
しかし、こういう環境にいたことが、後の自分の建築に対する姿勢に影響を与えたことは事実と思う。まだ10代の頃、伊勢市駅前の喫茶店でケーキを食べながら【式年遷宮(しきねんせんぐう・下記参照)】の本を読んでいたら、奥野さんっていう建築士に声を掛けられ「君は変わっている!」と言われた。その時の恰好が、グラサンに赤いサテンのジャケットを着てウエスタンブーツ履いて頭にディップをベタベタだったから。確かに変わっていたと思う。でも、これが宗教の力なのかもしれない。そんなバカガキにも、その世界のスゴさに興味をもたせてしまうのだから。
さて話が少し変わるが、神宮は【式年遷宮(しきねんせんぐう)】といって20年に一度建て替えを行い、生まれ変わり、永遠に若々しい生命をえていく。この20年に一度の遷宮は、建物の朽損(きゅうそん)を目的としたものではない。日本の木造建築は、法隆寺を見てもわかるように、500年だって1000年だって持ちこたえられる。物理的な技術伝承などの理由はあるにせよ、20年とは人間の区切りの年月の単位であり、20年ごとに神宮が新しくなることで、大御神の、より新しい御光をいただき、日本の国の「イノチ」を新鮮にして、日本全体が若返り、永遠の発展を祈るという目的がある。つまり、神宮の力は過去の威光ではなく、常に新しい【今の力】なのである。
次回の遷宮は平成25年。元々いわゆる「お祭り」の少ない伊勢であったが、最近はこの遷宮に向けてどんどん盛り上がっている。伊勢を離れてしまって、直接的にこの「お祭りごと」に参加できないのがとても寂しいが、やはり建築好きの一人として、これからちょっと掘り下げて勉強してみたい。我が倭姫宮も順番に建て替えられる。なんか出来ないかなぁ。
ともかく今年も子供達と一緒にお参りをして、去年一年間、家族全員が大病する事無く健康であったことにお礼を言ってきた。そして今年もいろいろな意味で一生懸命頑張ることを神様に約束した。
| 固定リンク
「05.旅行・文化ブツブツ」カテゴリの記事
- ひとりオッさん朝抹茶・・・。(2017.11.02)
- 絶対的に小さな国ではない、ハポン(ジャパン)(2017.05.22)
- 夏の思い出(2013.07.09)
- 飛び込め~!!!(2011.05.01)
- 暑い!熱い!春!(2010.05.06)