永川玲二という人
2000年4月22日、永川玲二という物書きが逝った。書かない作家として、その世界ではちょっと有名な人だった。東大英文科の先輩後輩となる丸谷才一氏、高松雄一氏と共に、かの有名な小説【ユリシーズ※】の翻訳を手掛けた偉大な作家である。
1995年にスペインに渡った私は、ひょんな事から永川先生と知り合った。私が住むアンダルシーアの海岸沿いの町マラガの知人宅から、変わった人が来ているから夕御飯でも一緒にどうぞというお誘いで、このセビージャに住む偉大なる【書かない作家・永川玲二】と対面する。
この時すでに70歳を目前に控え、老人と言って良い年齢・風貌であったが、30年近くもセビージャに住み、セビージャ大学の教授であったり、西欧史、特に大航海時代のスペイン史の専門家であったりと肩書きの尽きない偉人である。翻訳した著書は多いが、自身の名前での文筆は少ない。わずか二つである。わずか二つにかかわらず、偉大な作家として日本でその名を知られている。(その偉大ぶりは、Googleで永川玲二を検索してみると良くわかる。)
しかしその実態は、身なりも生活も、とても【不潔そうなオッサン!】である!
先生の誘いで、スペイン・ポルトガルのあるイベリア半島を一周し、歴史的文化遺産を見学しようということになった。お金はない。先生にもないらしい。ボロボロだが先生は車は持っている。でも免許がない・・・。どうやら先生は、いつも暇そうな若者を見つけては運転士をさせ、各地をキャンプで回る貧乏旅行をしているそうだ。
まずはセビージャの先生のお宅へ。スペイン・セビージャの優美の歴史の中で、最も重要な場所とされるグァダルキビール川のトゥリアナ橋。その橋を渡ったところ、ちょうどトゥリアナ橋の向こうにヒラルダの塔を見る位置にある長屋に、先生のアトリエ兼自宅はある。その長屋は、白壁に色とりどりの花の鉢植えを一面に飾り、セビージャの長屋のキレイ度コンクールで一位になったこともあるという。もちろんそれらの鉢植えは、そこに住む地元のおばさん達の作品。その奥の一角にある先生の家は・・・。
玄関扉をくぐると天井の高い20帖ほどのワンルームのような部屋の壁じゅうに、本がビッシリ。もちろん日本語もあれば、英語・スペイン語・その他の言語・・・。(先生は、言語学者でもある。)決して片付けが苦手なわけではない。狭い部屋を有効に使い、自分で本棚やベッドまで作ったらしい。ただ、色が変わるほど【ほこり】が積もっている。
家具はほとんど拾ったもの。キッチンなんて、普段使う食器以外は、10年位動かした事がないんじゃないだろうか。色が黒くなっている。先生が寝室としている3帖ほどの部屋の上に、屋根裏部屋のような、ゲストの寝室がある。といっても天井高さは本当に1mちょっとくらいで、そこに拾ったスポンジのマット・・・いやゲスト用のベッドが置いてある。喜んで横たわると、ボワッとほこりが舞い、ジャリっと砂の音がする。昔からキャンプ旅行は何度も繰り返してきたし、河原で寝るなんて事も別に気にならない私には、まぁ、十分な寝床だ。虫さん達もたくさん住んでいるのかもしれないが、まぁ、乾燥したスペインだからダニなんかは少ないんだろうなっと、根拠の無い問答を心の中で繰り返し、休ませていただいた。
まだらな白髪の不精髭で、ヨロヨロ歩きながら、四六時中ワインを飲んでいる。おしゃべり大好きで、説教好き。相手がどこの国の人でも何歳でも、全く敷居がなく、朝までしゃべり続ける。風呂もあんまり入らない感じ。私は結局スペイン滞在中に何十回となくお邪魔したが、こちらのお風呂には一度も入らなかった。汚くて・・・!
こんな先生だけど、イベリア半島旅行の間は、大陸の歴史から一つ一つの建物にまつわるエピソードを延々と語ってくださる最高の旅行ガイドだった。特に大航海時代の話は、あんたはコロンブスか!と言えるほど面白い。昼ごはんの時は、必ず二人でワインを1本空ける。2時間くらいおしゃべりする。まぁ、ほとんど先生がひとりでしゃべっている。その後も車で廻るわけだから、今考えると法律的に問題のある旅行だった。
何度先生と旅をしただろう。カディスに住んでいた頃、先生のセビージャの家まで1時間半ほどだったので、よく先生を誘って、セビージャの安中華料理屋へぎょうざを食べに行ったものだ。
私の帰国後1年ほどして、ちょうどその頃私が住む北九州に、偶然にも北九州大学の客員講師として帰国された。一度だけ宿舎をお訪ねしたが、その時すでに、ずいぶん体調が思わしくないようで、会話に何か寂しさを感じた。私は北九州の設計事務所で修行中であり、ちょっと精神的にまいっていた時期とかさなり、その一度しか会い行かなかった。一年ほどして風邪をこじらせ、そのまま他界された。
訃報は日本国内だけでなく、スペインでも大手の新聞等で報道された。彼の業績が、生きてきた証が、十二分に皆に認められ、彼がこの世からいなくなった事を世界中の人間が悲しんでいる証拠だ。
自身の信念と研究心により、30年も前にシベリア鉄道に乗りイギリスを経てスペインで活躍した。ついに妻を取ることもなく、いくつか恋の話なども聞かされたが、晩年さびしい思いも少なからずしていたように思う。最後を遺族のいる日本で迎えられたことは、彼にとって何よりの幸せだったのかもしれない。最後の一年間、私は彼の近くに住みながら、先生の寂しさを紛らわせることが出来なかった。何にもまさる後悔である・・・。
心から尊敬するといえる人が何人いるだろうか。実際に会った事もない歴史上の人なんか問題外。会ってその人の生の姿を見て、生き方の信念を感じて、初めて【尊敬】できると言える。そんな方に会えたことが、私の幸せだ。
今ごろですが先生、ありがとうございました。
こんな人; http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B7%9D%E7%8E%B2%E4%BA%8C
もうひとつ; http://www.asahi-net.or.jp/~cz9y-ngkw/tio.html
※【ユリシーズ】; タブリン(アイルランド共和国の首都)のある1日(1904年6月16日)に起こった出来事を、様々な文体で、意識の流れなどの実験的な手法を用いて描写したジェームス・ジョイスの長編小説。プルーストの「失われた時を求めて」と並び、20世紀前半のヨーロッパ文学の最高峰とされている。
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