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2008年12月の4件の記事

今年のドリーム。来年もドリーム!

 クリスマスの次の日、この街にもほんのちょっとだけ雪が降った。朝の5時半頃には全くなかった雪だが、子供達が起きる頃にはうっすらと積もってくれたので、その日の一日は子供達の歓喜の声から始まった。

081229001_2 この街でも毎年一度は、もっとドカッと雪が降る日があるので、今年はまだ序の口だななんて言ったんだが、子供達にとっては十分に全開雪合戦気分のようだ。朝からスキーウェアを探している。ほんのわずかの雪なのに、天からの贈り物のように大喜びで、夕方まで何度もデッキに出たり入ったり。大人の私は、寒くて一日中薪ストーブの火を消すことができず、窓から彼らの元気を見ながら、遅ればせながらの年賀状書きに追われていた・・・。

081229002_2  そんな中、その薪ストーブさんは目一杯働いてくれる。部屋もたっぷり心地よく温めてくれるが、今日は濡れたウェアをどんどん乾かし、スキー場の山小屋のようである。普段でも冬は、洗濯物乾燥機状態となっているのだが、濡れものを乾かすと水分が蒸発し乾燥した部屋の湿度を上げてくれたりして、ともかく一石三鳥、四鳥である。もちろん何時間つけていても、電気代、灯油代を気にする必要もないし、ホント、彼はいいやつである。

081229003_2 さて、昨日はそんな元気な子供達を連れて【鈴鹿サーキット】へ。私が生まれる前から存在するサーキット併設の遊園地。子供の頃、忙しかった父が毎年一度だけ連れてきてくれた。三重県中南勢エリアの子供達にとっては、昔から聖地のようなところだ。昔はディズニーランドだってなかったし、そんな遠くまで子供を遊びに連れていくなんて習慣もなかったしね。20歳の頃にはF1が日本で始まり、モータースポーツブームとなり、また鈴鹿を聖地のように崇めていたのを覚えている。ともかく昨日は、大人の顔をして子供達を連れていったのだが、実は心の中は【聖地に帰って来たガキ!】になっていた。

081229008_2 でんでん虫や各種ゴーカートなど、無数の乗り物がある。子供達の目が輝いている。たしか昔はパスポートなんてなかった。1ヶ所1ヶ所で綴り式の現金チケットを切って渡していたから、なんでも好きなものに乗れるなんて考えられなかったよなぁ。乗り放題だんもんな、今は。今日はずいぶん空いているし、目一杯遊ぶぞ!

 でも今の私の興味は、実は、それらの発着ステーションの構造などに目が行ってしまう。傾斜地にある建物は、どんな基礎をしているのか、この辺の地盤は固いのかとか、この壁の下地はなんだろう?屋根に溜まる雨水はどこへ流れるのか・・・。

081229004_2 ああ、オッサンになってしまったんだ! せっかく【聖地 鈴鹿サーキット】に来たのに、【ドリーム】な事を考えられないなんて!

 まぁしかし、人に【ドリーム】を与える方の人になったんだと思えば、それもまた嬉しいか。大人にも、子供達にもドリームを与えられる立場になった。そういう仕事を身につけた。ただのサンタクロースじゃない。ドリームを現実化する技術を持っているんだ!

 さて、ウチの子供達も、今日の【ドリーム】を喜んでもらっただろうか。私が幼い頃、両親からもらったドリームである。このドリーム、自分が子供の頃思っていたほど生やさしいものじゃない。入場券を買う時も、お昼のランチの代金を払う時も、小さな、いや大きな覚悟と引き換えにこのドリームを手に入れる。彼らの笑顔を見るために・・・。今頃、両親の苦労がよくわかる。

081229007 そういえばこの間のクリスマスの日にも、サンタになって、大きな覚悟と引き換えにドリームをあげたっけなぁ。年末はドリームが多いなぁ。お正月もドリームいるのかなぁ。こうドリームが多いと大変だ。

 もうすぐ大晦日のドリームの日。これは大人のドリームの日だな。今年は連番で・・・。しかし、大人のドリームは、覚悟の割には確率が小さい・・・・・ブツブツ・・・・・。 

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ハードロックオヤジ

 どんくさそーなオッサンが、いきなりディープパープルだもん。ガツン!!と、きたわ!

 昨日今日と、東京出張。仕事だから、いろいろな建物や内装を見せてもらった。勉強になるというか、やはり都会には無数のチャンスとアイディアと新しさがあふれている。たまに行くからそう思うのか、とにかく刺激的だった。

081218002081218003  仕事で・・・、美味しい物もたくさん食べました。

 赤坂ではローストビーフの店【ロウリーズ】。味も美味しかったけど、店中がいろんなテクニックでムードを盛り上げていく、その姿勢に感動。流行る店は、店員がホント イキイキしている。そういう教育が行き届いている。Dscn0110_2 日常と違う世界をつくってくれている。ハードもソフトも。お店自体もカッコよくて、よく考えられていて、素晴らしい内装だったけど、目を近づけてよく見ると、そんなにいい材料を使っているわけでもない。設計の技術的なテクニックと、そこに働く人々の心のテクニックで、最高の店をつくっているのを感じた。

 しかし、また感じたね。大事なのはハードじゃないんだ。ソフトなのだ。建築家がマスターベーションでカッコが良いだけの建物を作ってはいかん。その建物によって、そこに居る人々のモチベーションが上がる。幸せになる。それこそが大事だね。

081218004081218005  その後、接待で、六本木の小さな小さなハードロックライブのバーへ。正直、はじめは小さな小汚いスナックかなと思ったら、すごいものが始まった。何がすごいって、このオッサンがすごい!(たぶん店のオーナー)人の良さそうで、少し「どんくさそーな」ただのオッサンなのに、リクエストのハードロックを、ダーン!と歌いこなすんだもんね。もう、店中のサラリーマンのオッサン達が、ノリノリであった。みんなニコニコ笑っていた。

 これも、ソフトだね。ハードはどうでもよかったんだ(ハードロックだけどねぇ)。店員の心が幸せを作るんだ。

 東京のサラリーマンは、こんな息抜きを楽しんでいるのかと思うと、少しうらやましかったなっと・・・・・。

 ローリーズ; http://r.gnavi.co.jp/a068833/

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僕らの音楽

081213_2  夕べ寝る前に、フジテレビの【僕らの音楽】を観ていた。ゲストのミスチルの桜井さんが、いい事を言っていた。

 音楽を星座とすると、例えばさそり座としたならば、ミュージシャンはいくつかの星をさそりをイメージ出来るように並べるのが仕事。でも、誰しもが同じさそりの形をイメージするように並べるのではない。一人一人がいろいろなさそりを想像してくれたらいい。一つの音楽を通して、いろんな人がいろんな感動をもってくれたらいい。・・・そんな内容だったと思う。

 いつもいろんな建て主さんに会い、どのように生きたいかを聞き、想像する。なかなか生き方がハッキリしている人は少なく、いろんな話をしながらその人の喜びを引き出そうとする。

 しかし、いつもそれを繰り返していると、だんだん自分の色が強く出るようになって、勝手にその人の生き方を先導してしまいそうになる。

 どういう風にしたらいいでしょう?なんて逆に質問されて、ついつい、ただ自分がやりたい方に話を進めてしまう。

 建築家の仕事は、建て主さんが思い、考え、悩んだ生き方を、建物という部分から形にする事だ。建て主の理想を大きく包み込める建物をつくる。その中で、十人十色いろんな人生を送ってくれる。ただ私が図面を引いたんだっていう共通点で感動してくれたらいい。

 つい、それを忘れてしまうことがある。昨日は桜井さんの話で、また初心に戻ることができました。

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永川玲二という人

 2000422日、永川玲二という物書きが逝った。書かない作家として、その世界ではちょっと有名な人だった。東大英文科の先輩後輩となる丸谷才一氏、高松雄一氏と共に、かの有名な小説【ユリシーズ※】の翻訳を手掛けた偉大な作家である。

081203001_2 1995年にスペインに渡った私は、ひょんな事から永川先生と知り合った。私が住むアンダルシーアの海岸沿いの町マラガの知人宅から、変わった人が来ているから夕御飯でも一緒にどうぞというお誘いで、このセビージャに住む偉大なる【書かない作家・永川玲二】と対面する。

 この時すでに70歳を目前に控え、老人と言って良い年齢・風貌であったが、30年近くもセビージャに住み、セビージャ大学の教授であったり、西欧史、特に大航海時代のスペイン史の専081203009_2081203008_2門家であったりと肩書きの尽きない偉人である。翻訳した著書は多いが、自身の名前での文筆は少ない。わずか二つである。わずか二つにかかわらず、偉大な作家として日本でその名を知られている。(その偉大ぶりは、Googleで永川玲二を検索してみると良くわかる。)

 しかしその実態は、身なりも生活も、とても【不潔そうなオッサン!】である!

 先生の誘いで、スペイン・ポルトガルのあるイベリア半島を一周し、歴史的文化遺産を見学しようということになった。お金はない。先生にもないらしい。ボロボロだが先生は車は持っている。でも免許がない・・・。どうやら先生は、いつも暇そうな若者を見つけては運転士をさせ、各地をキャンプで回る貧乏旅行をしているそうだ。

081203014 まずはセビージャの先生のお宅へ。スペイン・セビージャの優美の歴史の中で、最も重要な場所とされるグァダルキビール川のトゥリアナ橋。その橋を渡ったところ、ちょうどトゥリアナ橋の向こうにヒラルダの塔を見る位置にある長屋に、先生のアトリエ兼自宅はある。その長屋は、白壁に色とりどりの花の鉢植えを一面に飾り、セビージャの長屋のキレイ度コンクールで一位になったこともあるという。もちろんそれらの鉢植えは、そこに住む地元のおばさん達の作品。その奥の一角にある先生の家は・・・。

 玄関扉をくぐると天井の高い20帖ほどのワンルームのような部屋の壁じゅうに、本がビッシリ。もちろん日本語もあれば、英語・スペイン語・その他の言語・・・。(先生は、言語学者でもある。)決して片付けが苦手なわけではない。狭い部屋を有効に使い、自分で本棚やベッドまで作ったらしい。ただ、色が変わるほど【ほこり】が積もっている。

081203004_3 家具はほとんど拾ったもの。キッチンなんて、普段使う食器以外は、10年位動かした事がないんじゃないだろうか。色が黒くなっている。先生が寝室としている3帖ほどの部屋の上に、屋根裏部屋のような、ゲストの寝室がある。といっても天井高さは本当に1mちょっとくらいで、そこに拾ったスポンジのマット・・・いやゲスト用のベッドが置いてある。喜んで横たわると、ボワッとほこりが舞い、ジャリっと砂の音がする。昔からキャンプ旅行は何度も繰り返してきたし、河原で寝るなんて事も別に気にならない私には、まぁ、十分な寝床だ。虫さん達もたくさん住んでいるのかもしれないが、まぁ、乾燥したスペインだからダニなんかは少ないんだろうなっと、根拠の無い問答を心の中で繰り返し、休ませていただいた。

081203003_2 まだらな白髪の不精髭で、ヨロヨロ歩きながら、四六時中ワインを飲んでいる。おしゃべり大好きで、説教好き。相手がどこの国の人でも何歳でも、全く敷居がなく、朝までしゃべり続ける。風呂もあんまり入らない感じ。私は結局スペイン滞在中に何十回となくお邪魔したが、こちらのお風呂には一度も入らなかった。汚くて・・・!

 こんな先生だけど、イベリア半島旅行の間は、大陸の歴史から一つ一つの建物にまつわるエピソードを延々と語ってくださる最高の旅行ガイドだった。特に大航海時代の話は、あんたはコロンブスか!と言えるほど面白い。昼ごはんの時は、必ず二人でワインを1本空ける。2時間くらいおしゃべりする。まぁ、ほとんど先生がひとりでしゃべっている。その後も車で廻るわけだから、今考えると法律的に問題のある旅行だった。

081203006_2 何度先生と旅をしただろう。カディスに住んでいた頃、先生のセビージャの家まで1時間半ほどだったので、よく先生を誘って、セビージャの安中華料理屋へぎょうざを食べに行ったものだ。

 私の帰国後1年ほどして、ちょうどその頃私が住む北九州に、偶然にも北九州大学の客員講師として帰国された。一度だけ宿舎をお訪ねしたが、その時すでに、ずいぶん体調が思わしくないようで、会話に何か寂しさを感じた。私は北九州の設計事務所で修行中であり、ちょっと精神的にまいっていた時期とかさなり、その一度しか会い行かなかった。一年ほどして風邪をこじらせ、そのまま他界された。

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 訃報は日本国内だけでなく、スペインでも大手の新聞等で報道された。彼の業績が、生きてきた証が、十二分に皆に認められ、彼がこの世からいなくなった事を世界中の人間が悲しんでいる証拠だ。

 自身の信念と研究心により、30年も前にシベリア鉄道に乗りイギリスを経てスペインで活躍した。ついに妻を取ることもなく、いくつか恋の話なども聞かされたが、晩年さびしい思いも少なからずしていたように思う。最後を遺族のいる日本で迎えられたことは、彼にとって何よりの幸せだったのかもしれない。最後の一年間、私は彼の近くに住みながら、先生の寂しさを紛らわせることが出来なかった。何にもまさる後悔である・・・。

081203007_3 心から尊敬するといえる人が何人いるだろうか。実際に会った事もない歴史上の人なんか問題外。会ってその人の生の姿を見て、生き方の信念を感じて、初めて【尊敬】できると言える。そんな方に会えたことが、私の幸せだ。

 今ごろですが先生、ありがとうございました。

こんな人;   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B7%9D%E7%8E%B2%E4%BA%8C

もうひとつ;  http://www.asahi-net.or.jp/~cz9y-ngkw/tio.html

※【ユリシーズ】; タブリン(アイルランド共和国の首都)のある1日(1904年6月16日)に起こった出来事を、様々な文体で、意識の流れなどの実験的な手法を用いて描写したジェームス・ジョイスの長編小説。プルーストの「失われた時を求めて」と並び、20世紀前半のヨーロッパ文学の最高峰とされている。

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